【しま便り】千歳烏山「らくだ」と成城学園にて
東京で展示会します。磯崎主佳の最近の作品。原画、複製(額入り)絵はがき、など。
また、会期中に、絵本作者の金城春子さんを招いた「一緒に遊ぼう」という会を催します。
8/30(水)昼二時から成城学園(世田谷区成城六丁目、小田急線「成城学園前」駅下車数分)にて。
8/31(木)は展示会最終日の宴会に、春子さんも参加。この日は「わらぶー」のライブも。
【↓クリックしてみて下さい】

この期間、会場になる「スペースらくだ」では二つのライブがあります。ライブ準備と本番の間は展示物を見るためだけの入場は出来ませんので、お気をつけ下さい。ライブ入場者となって展示作品を見ることは出来ます。
【たまたま庵】の報告会をかねた開会の宴を初日(8/26に行います)。これについては詳細未定。
【しまくとぅばで あそぼう】
にーじぃてぃ んーでー
あーきてぃ んーでー
てぃーぐわ うっちぇー
にじぃてぃ んでー
まーたー あきやーに
てぃぐわ うっちぇ
うぬぅてぃや いいんかい
てぃだ クワラクワラ てぃだ クワラクワラ
てぃだ クワラクワラ クワラクワラー
これ、沖縄口訳の手遊び歌ですけど、お分かりですか?
私が校閲していた絵本【DVD付】発売!
「まりつき歌」、
自作の指遊び歌、
沖縄口に翻訳した歌。
早口言葉……
などを挿絵入りで紹介。
では、画像の「早口言葉」のページから、一つ。
なまぬくるまやむるなまぐむぐるま
(今の車や、むる生ゴム車)
さっそく先週、県内二紙で紹介されました。
琉球新報【方言楽しく学ぼう…金城さんが「しまくとぅば」の本出版】(06/05/16、午後)
沖縄タイムス【金城さんが指遊び絵本】(06/05/16、夕刊5面)
すでに、5月16日から県内の主要書店で販売。DVD(約10分)付きで1500円。
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絵を担当したのは、磯崎主佳さん。(沖縄司会屋さん、ブログで紹介してくださって有難う。素敵な写真です)
実は、この本、仕上がったのが13日の土曜日。なんよう文庫の川満さんが即座につくば市の「ゆいまーる一周年記念」の会場に送ってくれて、14日(日)の夕方には会場で販売しました(磯崎さんのサイン入り)。
沖縄島内での販売に先だってつくばで売ってしまったわけです。あはは。そして翌15日には、旧職場のS学園(中学校)でも数名の知り合いに買ってもらいました(有難う〜〜)。だから二番目の販売が世田谷。
さて、近々出版記念の宴を企画しなくては。楽しみ〜〜。
そしてこの夏には、東京周辺のどこかで「原画展」「絵はがき展」、【たまたま庵】紹介展、を一週間くらいやりたいな〜〜〜と考えています。当然、宴会もやって、ね。
お知恵のある方、連絡下さいな。
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(はじめに載せた歌は「結んで開いて」の沖縄語訳。後半は「お日様キラキラ…」です。皆さんもどうぞ手を動かしながら楽しく「あしば!」)
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【しまくとぅばで あそぼう(続き)】
DVDは正味10分強。金城春子さんの自宅+お店の庭で撮影。
「門」(じょう)、という食事の店さんです。
ほとんどお一人でやっておられる。基本的には予約制。予算に応じてくださいます。
食器は、金城有美子さんのつくったもの(作品を売ってもいます)。有美子さんは春子さんの娘さんです。
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内容が重複しますが、掲示板への書き込みから転載(一部修正)。
【磯崎主佳さんより】
書き手の金城春子さんはとっても元気でパワフルな方!
南風原の津嘉山で民話と食事の店『門』(じょう)というお店をやっています。
故人の旦那様金城信吉さんは沖縄民芸運動の担い手でもあり、沖縄を代表する建築家でもありました。
今沖縄で活躍する50代60代の陶芸や染織の作家の多くは若い時に信吉さん荷お世話になった方がたくさんいます。
信吉さん設計の自宅がお店になっていますから、お家もじっくり見てきてください。
娘さんの金城有美子さんの器でお料理が楽しめます、こちらもお見逃しなく。
春子さんは西原町で育ち南風原にお嫁に来ていますから、今回の絵本に出てくる方言は首里、西原、南風原あたりの表現になっています。
絵はアイディアスケッチをたくさん描いて、春子さんや有美子さんたちと相談しながら仕上げていきました。
春子さんが「かわいらしさ」を大切にしていたので、画材もほとんど色鉛筆でやさしい雰囲気にしあがっています。
みなさんぜひ手にとってみてくださいね。よろしく〜
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「しまくとぅばであそぼう」の記事あり。南風原の情報です。←クリック!
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書店での購入が不便な方へ
申し訳ありませんが、アマゾンなどでの販売は今後もないようです。どうぞ私にメールで連絡を。
"日本国内"の場合、二冊以上なら、エクスパックかゆうパックでお送りします。夕方までに発送すれば翌日着きます(旭川でもおなじ時間で着きました!)。 一冊の場合は「冊子小包」でお送りします。
郵便振替用紙を同封しますので、それでお支払い下さい。特殊な場合をのぞいて、送料はこちらで負担します。
"国外"への郵送は場所によって状況がさまざまなので、まずは相談を。
店舗などでの販売をお考えの方は、なんよう文庫か沖縄学販にお問い合わせください。
知人が調べたところでは、わしたショップには置いてあるところもあるそうです。電話でお問い合わせ下さい。
どぅーたっち(東京・駒込)にはまだ連絡していません。ごめんなさい。
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【06/05/23追記】
さきほど、出版後はじめて制作に関係した五人で食事会をしました。そのひとこま。
民話と食事の店『門』(じょう)には、近所の小学校の子供達が帰り道に寄っていくのだそうだ。春子さんの話を聞いたり、一緒に遊んだりしたいから。休日には那覇から自転車に乗って遊びに来る子もいるとか。
これは絵本を作る前からのこと。一人でやっている店だから、その間、仕事は後回しになるわけだけど、春子さんは楽しそうにそのことを話す。
娘の有美子さんは、陶芸家。春子さんの店の食器が作品であるとともに、そこは展示、販売の場所でもある。展示用の棚が新しく作られていた。「自作よ〜、ペンキも塗ってさ〜」とこれまた楽しそう。
さて、有美子さんが主佳さんに「今回の画材は?」と尋ねたのに対して「120色の色鉛筆、十数年前にスイスで買ったヤツを今回初めて使ってみた」と主佳さん。
「学生時代、欧州旅行で自分のために買ったのはこれだけだったんだ」とも。
主佳さんは「まゆ織り工房」で機を織ってもいるのだが、かつて有美子さんは父親に「染織か建築の内装の道に進みなさい」と言われていたのだそうだ。そのお父さんは彼女が高校生の時に急病で亡くなった。「お陰でこんな道に進めたのよ」と笑っていた。
主佳さんは なんよう文庫 の昭広さんに「私の絵を使おうって思ったのはいつ?」と問う。
昭広さん「去年の夏に絵はがきを見たときに」とのこと。
「わりと最近のことだったんだ」と私も意外に思った。
六月には、参加者がちょっと驚くような出版記念会をしてみよう、とか、夏には東京で原画の展示会をしよう、いや春子さんも招いて、しまくとぅばあしび会にしよう、とか、そうだ春子さんの唄と僕の三線であそぼう、とか、まあ、ホントにいろんな方向に話は広がった。
絵本の話題だけではなく、ウシの糞尿から肥料を作りつつ川の汚染を減らすことだとか、人工的な護岸工事で海の砂の動きが変わった話し。それは宇井純のことやヤハラヅカサが砂に埋もれ折れていったことにも繋がって、いやはや何とも面白い。
六月下旬に沖縄島で、八月下旬〜九月はじめには東京(なるべく多摩)での催しを予定している。皆さん応援をよろしく。

那覇市内の某ショッピングセンターの書店で平積み!
【06/05/19撮影、ピンぼけ御容赦、クリックしてみて下さい!】
【玉城村字玉城のタマ】
友人のTさんの工房とすぐ隣の玉城公民館の間の畑の垣にこんな掲示が掲げられた。
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昨日(05/12/13)の朝刊によれば、不発弾は米国製5inch艦砲弾。避難範囲は半径230mで五世帯21人が避難する、とある。
五世帯のうちの一世帯四名がTさん宅である。二日前に東京から帰ったばかりの私は土産を持って処理終了を待った。交通規制が解除になってすぐ尋ねると、自宅向かいの工房でいつものように作業している。「もう帰ってきたの?早い!」というと、「道を挟んでこちら側は避難地区ではなかった」とのこと。なるほどさっきの掲示の地図をよくよく見ると自宅は避難地域、工房は赤い円周の外だ。円の中心は「ほらこの前、モンゴルパンの会をやったところ」とのことで早速行ってみた。
海岸に遊びに行くときによく使う駐車スペースには陸上自衛隊の車が三台、2m×3m、深さ2m位の穴が掘られている。「地中に埋まっていた不発弾を処理したんだ」と思ったが違っていた。帰りがけの自衛官に尋ねるとこんな返事が返ってきた。
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…この穴は処理作業用に掘ったもので、発見場所ではない。海岸にあった砲弾を誰かが通報した。今日はこの穴で信管を飛ばす作業(それを安全化処理と呼ぶらしい)をした…海に洗われ錆びてはいても火薬を保護している真鍮などは強いもので、60年経った今でも火薬は効力を減じていない…慶良間の海岸などに多いのです…
帰りにTさんに話しに行くとテント撤収の作業などが公民館で行われていた。
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明日、いや今日、私がそしてあなたがそこの海岸で見つけるかも知れない、鉄の暴風の残骸。60年の歴史を見てきたタマのお話しでした。
【写真は05/12/14午前 撮影】
(三枚目の写真で左の緑の中にある木造の建物はごぞんじ「山ノ茶屋=楽水」です)
【These pitiful victims of the war were as many as ten thousands.】
昨日。欧州から訪れた高校生中心の団体に同行し、一緒に韓国人慰霊塔公園に行った。日本の戦跡を廻る旅の終盤であるという。
朝鮮語、日本語、英語の説明文が石に刻んである。左端の英語の文章を通訳が読み上げ、要所要所を独訳していった。すると、第一段落の最後の部分に対して質問。「『一万人』はどこで没したのか」。
日本語の説明に慣れていた私(たち)は明解に「沖縄で」と答えたのだが。
(第一段落のみ 「/」は改行位置を示す)
When the war in the Pacific region broke out in 1941,the young people / of Korea were pressed into service by Japan and stationed at various fronts / on the Continent and in the South Seas. Thus conscripted and drafted, they / suffered innuumerable hardships, and some of them were killed in battle and / even slaughtered here in Okinawa. These pitiful victims of the war were as / many as ten thousands.
日本語はこうだ。(「/」は改行を示す)
1941年 太平洋戦争が勃発するや多くの韓国青年達は日本の強制的徴募/により大陸や南洋の各戦線に配属された。この沖縄の地にも徴兵、徴用として/動員された1萬余名があらゆる艱難を強いられたあげく、あるいは戦死、ある/いは虐殺されるなど惜しくも犠牲になった。
祖国に帰り得ざるこれら冤魂は、波高きこの地の虚空にさまよいながら/雨になって降り風となって吹くであろう。この孤独な霊魂を慰めるべく、われ/われは全韓民族の名においてこの塔を建て謹んで英霊の冥福を祈る。
願わくは安らかに眠られよ。
1975年 8月
韓 国 人 慰 霊 塔 建 立 委 員 会![]()
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今日、ソウルからの留学生(この夏【たまたま庵】滞在したCさん、大阪在)に事情を伝え、朝鮮語の説明文の画像をメールで送った。じっくり読んでもらうことにする。
【写真撮影は05/09/27(夕刻)と05/10/12(午後)】
【外間さんのふるさと】
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5・15に知り合った外間さんは一日中舞台の裏方を手伝っていた。合間に写真も撮っていた。終演後の懇談で「来月写真集を出すんです、今最終段階だけど今日の写真も載せたいのです、良いのが撮れてたら」。
6・23前後には、琉球新報、沖縄タイムスに記事が出て、QABでも紹介された。6/25に【たまたま庵】来訪。数冊を預かる。別れた後に熟読、ことばが胸に響き影像が目に焼き付く。
「ほら、ぼくはこんな風に演奏もしてるんですよ」。機会あるごとにこの本を知人に見せている。
生まれて数か月で沖縄戦を生き抜いた外間さんのふるさとの60年間がこの本の中にある。
外間さんがふるさとを出て約45年。
かたや私…もの心ついてずっとこのクニに踏み込めなかった、その期間が約20年。
私がこの島に通い初めてから16年。
【新設 遊歩道 崩落】
二年前(03年)に工事、完成した遊歩道。
【たまたま庵】から北に数百m、ベランダから見えている。
先月の大雨で崩れ落ちたらしい。
高台にある公園側から近寄ってみると、地崩れを起こして階段も手すりも崩落していた。
直接の原因は激しい雷雨だったのだろうが、その遠因は人工的に森を切り開いたことにあるはず。
さて、これをどうするか、責任はどこにあるか。
古くからの小径が木々に埋もれていたのを整備したと言うことだったが。
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http://www.vill.tamagusuku.okinawa.jp/denku/show/fusa_yaka_tou.html
の「石畳」整備がこれです。
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【05/07/07 夕刻に撮影】
【水のささやき・光のうた】

昨年10月から11月に【喫茶室アルテ】で開催した絵はがき原画展、今回は原画に私が言葉を付けて再登場です。
【那覇市立病院】、夕方に掲示作業をしますので1/5は四時半からの開催です。
【チャンドラマ】では絵はがきの展示、販売も致しますのでよろしくお願いします。
(病院では絵はがき販売ありませんのでご注意を。現在、取り扱っている場所は以下の八か所です)
【喫茶室アルテ】(首里・崎山)、【風の里】(佐敷・新里)、【ポランのひろば】(知念・久手堅)、【浜辺の茶屋】【山の茶屋-楽水】(玉城・サチバル)、【花野果村】(玉城・富里)、【郷土料理-新】(具志頭・与座)【たまたま庵】(玉城・富里)
*三枚セットで\420(消費税込の場合、本来は\400です)。是非とも現物を御覧下さいな。
【江吏子&エド】

今回の一月強の在沖中に、二度のライブを計画中。
一度は首里で、もう一度は【たまたま庵】で。
【たまたま庵】のほうは期日など未定です。
私もちょいと演奏手伝いします。お楽しみに。
*「真南風」の江吏子さんです。
過去の演奏については、私のサイトで「サイト内検索」してみてくださいね、是非。
http://homepage3.nifty.com/i-sa-wo/
たたずむひと
かつて沖縄陸軍病院のあった黄金森。陸軍病院「二十四号壕」の入り口。
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情勢は次第に悪化、空襲は日々激しくなり、夜も三角兵舎には泊まれなくなったので生徒を三つの壕に分けて収容した。(中略)残りの師範生一高女生全員は二十四号壕にはいった。二十四号壕は病院の丘陵の東側中央に位置し、そばから丘を横切る細道が反対側の本部に通じていた。この壕も未完成であったが、かなり深かった。壕の中はしずくがしたたり、泥田のようにぬかり、足を踏み入れることができなかった。
入り口に積んであった支柱を壕内に運んで敷き並べて、足を泥につっこんだまま。その上に目白おしに入り口から奥まで並んだ。【「ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」(仲宗根政善)より】
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南風原町の立てた看板を読む青年の意識は59年の時を超え過去と現在を行き戻りする。
59年前の「戦争」の発端、経過、集結を想いながら、目の前に歴史の断片を見る。
59年間の地球上の「戦争」を想い、現在の戦場を想い、未来を想う。
緑に覆われて
【04年3月22日 撮影】
お分かりでしょうか。
日本軍の北飛行場に付随していた掩体壕(読谷山座喜味)です。
三基残っているうちで もっとも「緑色」のもの。
昨日(四月一日)も読谷に行ってきました。
この半月ほどで三回行ったことになります。
春になると読谷山に引かれるのでしょうか。
「チビチリガマ」の四月。
この機会に別サイトの写真も御覧下さいませ。
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