文字起こし(だいぶ時間がたった2017年に文字起こし、2020年の今日ここに掲載、15年前の6月の記録です)

(全部で3838秒、940秒あたりから)

鳥の声

足音。

 

(ごく小さなタイミングを合わせた声)

 

本日は、ご多用中のところ……、えー、

 

(黎明の塔、フラッシュを浴びる)

 

男たちの低い応答するような声。

 

本日は御多忙中(ママ)のところではございますが、本慰霊の趣旨をご理解いただき、個人としての参加ということでありますが、多数お集まりくださいまして誠にありがとうございます。

 

本日の、慰霊行事における実施要領について、連絡いたします。

 

はじめに、黎明の塔における式次第について連絡します。

 

黎明の塔での慰霊終了後、部外からの出席者、

団長、副団長、高級幕僚、および各部隊長は、現在地において写真撮影を実施しますので、しばらくそのままお待ちください。

 

1038秒)

 

本黎明の塔の由来についてご説明いたします。

昭和20326日。

慶良間諸島に米軍が上陸以来、

帝国陸海軍の将兵の

決死の敢闘はもとより、

沖縄学徒隊、および県民による

献身的な協力もむなしく、

圧倒的な米軍火力の前に、

ついに矢尽き刀折れ、

623日黎明、牛島軍司令官および長参謀長は、この地において割腹自決されるに及び、

90日間にわたる組織的抵抗の終焉を迎えました。

自決に臨んで牛島軍司令官が読まれた辞世の歌を紹介いたします。

 

秋待たで枯れ行く島の青草は御国の春に蘇らなむ

 

本、黎明の塔は、昭和276月、第32軍関係者、および、沖縄仏教界らによって建立され、牛島軍司令官、および、長参謀長が合祀されております。

 

碑に刻まれた文字は、時の総理大臣、吉田茂氏の自筆であります。

 

塔の形は牛島中将が自決される際の姿を模しており、

その方向は皇居に向けられております。

 

なお、塔の管理者は、財団法人沖縄県遺族連合会であります。

 

(小鳥の声)

 

以上で本、黎明の塔の由来についての説明を終わります。

 

(鳥のさえずり)

 

ただいまから、慰霊を始めます。

 

はじめに、牛島軍司令官、および沖縄における戦いで散華された英霊の御霊に対し、黙祷を行います。

 

脱帽。

 

黙祷。

 

(一同首を垂れる。ラッパ独奏『国の鎮め』、14分くらいの個所)

 

鳥の声、シャッター音。

 

黙祷止め。

(一同首をあげる)

 

続きまして、黎明の塔に対し、拝礼を行います。

 

拝礼。

(礼をする)

お直り下さい。

着帽。

 

慰霊者を代表し、団長に献花をしていただきます。

(団長に花を渡す係り歩み寄る。団長前に進み敬礼、花束を手向ける)

ガサガサ

(団長、下がって敬礼)

 

ありがとうございました。

 

続きまして、焼香を行います。

(※に跳ぶ。)

 

 

最後にもう一度拝礼を行います。

 

拝礼

 

お直り下さい。

 

着帽。

 

いったんこの隊形を崩れされてもかまいませんので。

慰霊者を代表し団長に献花をしていただきます。

 

 

ありがとうございました。

続きまして焼香を行います。

 

(※)団長から順次焼香をお願いします。

係りが歩み寄って団長にお香を渡す。

 

桑江先生おねがいいたします。

 

ご焼香が終わられた方は元の位置にお戻りください。

 

咳。

 

 

 

桑江先生お願いします。

桑江、

 

携帯着信音。

 

ガサガサガサガサ

咳の音。

 

(カット変わる)

蝉の声

ひときわ

 

ガサガサガサガサ

 

蝉の声

 

足音

 

 

○○長、お願いいたします。

 

足音

 

よろしくお願いいたします。

 

 

各部隊長の焼香が終わりましたら逐次ご焼香をお願いします。

 

 

21分のあたり、小学生、中学生も混じっている。)

 

 

たばこと煙。(22分)

 

最後に……

 

 

もう一度拝礼を行います。

脱帽。

拝礼。

シャッター。

お直り下さい。

着帽。

 

22分から23分)

一旦、この体形を崩されてもかまいませんので、前の方に詰めていただけま…せんでしょうか。

 

(ここで一度切れる)

 

本日特別におこし頂いた

桑江先生よりお言葉を賜りたいと思います。

 

桑江先生、お願いいたします。

よろしくお願いします。

 

----

今から60年前、本月本日、午前430分。

 

あの〇〇〇〇〇〇、牛島司令官と長参謀長以下、割腹自決をされました。

沖縄戦は終了しました。

 

これは、私、退官の前の、昭和51年の本月本日、

団全員、

駐屯地、分屯地から20キロの行軍をして、この摩文仁丘(きゅう)上に集まり、午前430分を期して慰霊祭をした時の私の訓示です。

 

えー、昨日、そこんところの下の勇魂の塔、のところでも慰霊祭ありました。

私の家内の姉が、小学校、私と同級生ですが、32軍官房部付き〇〇で、

自決をし、(シャッター音)その名前が刻まれております。

 

その慰霊祭があって、

家内も行ってまいりました。

 

その家内の姉が、牛島閣下、長参謀長が自決されたときに着ておった下着、

下着を家内の姉が縫ってあげたということで。それで戦後30年経って初めて分かった。

 

で、家内の姉が、そこで自決したのは

戦争直後すぐ知らせがあったが、

30年経って、鹿児島出身の梶(かじ)わたるという人が、

おそらく、その内容は、終戦直後に書かれたんじゃろうが、

30年間思うところあって出版しない。

30年後初めて出版して、で、それがわかった。

 

えー、牛島閣下にそれを差し上げたところ、喜んでこれを着て、と。

ただ、あんたたち死んだらいかんぞ。

キレの先に白い布をつけて出たら、米軍は婦女子を撃つようなことはしないから。

絶対死んじゃいかんぞ、と。

万が一の時に役に立とうからって

ヒスイのカフスボタンをあげられて、

決して死んじゃいけませんよー、と言って渡された。

 

長参謀長も、これが長の形見ですと言って、茶碗の、ええ茶碗を、…という、

それを我々遺族が聞いたのが30年後です。

 

昨日もそこで慰霊祭、八原参謀の息子さんやら、

そのあれ、

実はこの団の慰霊祭、

昨日も大村(大嶺?)長官がうちへ見えられたので、大村(大嶺?)総監にも申し上げたが、

私は嬉しくてしょうがない。といいますのが、

 

33年前、部隊を編成以来、僕の一つの夢は、

この6月の23日、午前430分を期して、

摩文仁まで慰霊行進をして、ここで慰霊祭をやりたい、というのが。

宮中?(宮城?)におって部隊を編成した時以来の僕の夢だった。

 

ところが、まるで全県を覆たような反自衛隊運動。

その中で、えー、自衛隊が摩文仁慰霊行進をやって、プラスの面とマイナスの面とある。

それをずうっと図っておって、昭和50年の本月本日を期してやろうと。

 

ところが、ええ、混成団駐屯地以外の訓練、行軍ですね、これは陸幕長の許可がいる。

陸幕まで申請したら、却下された。

ダメだ、と。

 

なぜか、と。

半月後に海洋博が50年の7月から、海洋博があります。

その前に自衛隊が摩文仁行進をしてトラブルでもあったらいかんから、と。

陸幕長が許可しない。

 

翌年の51年、もう、僕も最後だ。

(ここで切れる)

 

(何の)陸幕長が許可せんでもおれはやるぞーっと以前からアドバルーンを上げておった。

あげておったせいもあるかもしらんが、51年には許可が出た。

それで、団全員、那覇駐屯地、あるいは分屯地からの行軍を、行進をして

午前430分に慰霊祭をしたわけです、が。

 

そのことについて僕の判断通り、翌日の新聞はあの一面、自衛隊が摩文仁の聖地を軍靴で荒らしたと、あの新聞、タイムスも新報も新聞一面に書き立てておったが、

抗議のデモ一つ、デモどころか抗議の電話一つなかった。

そのことは上にも報告してあったんですが、

事後、私はここにおるが、事後の団長にこうせいああせいなんて指示は絶対していない。

それは現職を退いたものとして、相談があればだが、こっちから勝手にそういうことは言わん。

残念ながら、あれから、……何代でした?……(別人物の声「19代」)……19代の団長、一人として摩文仁行進、この慰霊の日にやった人がおらない。

 

僕もやれとは言わぬ。

 

去年。

去年、団長とお話ししておったら、慰霊行進をしてここで慰霊祭をやった、というその写真まで拝見して、それは良かった、と。

僕も通知があれば、行きよったのに、と言ったのが、

今年はこういった通知もあり、こちらに参拝できたわけです。

ですから、そういった意味で、これは、昨日、ちょうかん(?聞き取れず)にも申し上げたが、

僕は個人としても心から嬉しい。

 

(ここで変わる)

 

牛島司令官の最後の歌は(“さきほど披露されたので”というような意味の事を小声で述べ)

今度は長参謀長の最後の〇〇を歌って……。

 

―――――

(次の漢詩はウエブより引用

 http://www7a.biglobe.ne.jp/~bone/nikki/2015/2015-13.html

醜敵締帯南西地 飛機満空艦圧海(ママ) 敢闘九(ママ)旬一夢裡 万骨枯尽走天外

―――――

 

醜敵 帯を締むる 南西の地

敵機は空を圧し 艦は海に満つ

敢闘九旬 一夢の裡におわり

万骨枯れ尽くして 天外に走る

 

長参謀長の辞世の詩ですね。

 

(吟ず)

しゅうてき たいをしむる なんせいのち

てっきはそらをあっし ふねはうみにみつ

かんとうきゅうじゅん いちむのうちにおわり

ばんこつかれつくして てんがいにはしる

 

終わります。

 

【参考】長の子孫のウエブサイトにある辞世の七言絶句は以下のようです。

https://blogs.yahoo.co.jp/gfujino1/GALLERY/show_image_v2.html?id=https%3A%2F%2Fblog-001.west.edge.storage-yahoo.jp%2Fres%2Fblog-00-d0%2Fgfujino1%2Ffolder%2F331245%2F11%2F53506211%2Fimg_2%3F1486708744&i=1

 

待敵来攻南西地

飛機満天艦圧海

敢斗十旬一瞬夢

万骨朽果走天外

 

(司会)

大変ありがとうございました。

最後に団長より、お言葉をいただきます。

 

団長お願いします。

 

 

(団長)

どうぞ休んでください。

(桑江に)先ほどはありがたいお言葉ありがとうございました。

本日は早朝より第32軍司令官牛島中将、長参謀長。32軍全将兵のご慰霊、ご苦労様でした。

今回の、ま、慰霊祭というか慰霊は、記者の方々もあれですけれども、個人の参加ということでやらせていただきました。

部隊の部隊葬とかですね、そういうことではありません。

 

個人の参加ということでやらせていただきましたので、

そのへんはどうぞ、お含みおきください。

 

先ほど、司会者からありましたように

623日。

桑江先生からも詳しくありましたように、

60年前にまさにこの地で、当時の全権、指揮を、軍の指揮を執られておられました、32軍の牛島司令官であります、

自決をされてその自決をしたということがすなわち、軍の組織的な戦闘を終えた、と。

すなわち沖縄戦の終結、と。

そしてそれを終戦の日、と。いう風に重ねて。

 

その意義ある日に、意義ある時間に、意義ある場所で

このように哀悼の御霊を捧げる、ということは。

非常に意義あることであり

また、大切なことだと思っているんです。

 

また、32軍は当時の沖縄の防衛というような任務を担っていました。

そして、最後まで闘い、沖縄の地を守るために命をささげていったのです。

現在においてその任務を担っておるのは、ここにみんな集まっておる、第一混成団諸君、そして、さらには陸海空自衛隊の、私を含めた、諸君たちの任務であります。

 

そういう意味において、同じ任務を担っている。

いざとなったら沖縄県民のために命をささげてこの地を守るという任務を担っている我々が32軍将兵の御霊を追悼する、ということは非常に意義あることであり、また、さらに将来に向かって、任務を、決意を、新たにする、ということは非常に大切なことだと思います。

 

ま、本日は本当に朝早くからお集まりありがとうございました。

 

第一混成団隷下のみなさん。

そして、知念〇〇をはじめとした知念〇〇のみなさん。航空自衛隊を代表して。まずあの、初代の駐屯地せい(?、駐屯地指令?)であります、

桑江良逢様。

 

シーサー同志会の会長の高江洲さんをはじめとして。

(参考)シーサー同志会

https://newsi.okinawa/news/other/2017-02-21-115454

 

○○の皆さん。そして、防衛協会の青年部の、青年オピニオンの米盛さま。

 

新垣様、かげしまさん、

それから石垣から知花さん、

それから、旧32軍ゆかりのですね、こうださままで参加していただきまして、

盛大な慰霊の誠をささげる個人の集まりとなりました。

今日はどうもありがとうございました。

終わります。

 

(司会者)以上をもちましてとうせいによる慰霊を終了いたします。

 

なお、事後の行動につきまして連絡いたします。

 

部外からの出席者、団長、副団長、高級幕僚、および各部隊長は現在地において写真撮影を実施いたしますので、そのままお待ちください。

 

(変わる)

どうもありがとうございました。ええ、そうです。

 

これは、こういう。

 

終了。

 

-----------------------

2017/06/12 文字化

2020/05/27 修正作業

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【 提 案 】慰霊の日の催し、ぜひ平和の火の周囲で! (さらに‼ 例年少人数で慰霊の日の午前に行われてきたという”拝礼式”、ほとんど知られていなかった。どうしてこれまで問題にならなかったのだろう 大きな謎がここにある。)

5月末、玉城デニー県知事にメールを送った。

6月23日の催しの会場はぜひ平和の火=平和祈念公園の要にあたる場所へ変更すべきだと提案。短時間少人数という条件での最善の場所と考えたのだ。

当時の報道では、新型肺炎の影響下「摩文仁の戦没者墓苑で、16人」とのこと。普段目にすることの少ない施設、正式名称【国立沖縄戦没者墓苑】が登場。

この報道に触れ、だれしも目と耳を疑ったと思う。

やがて、その場所で例年6月23日の午前中、県による「拝礼式」が少人数で行われてきたことが新聞に載った。これまた自分の目を疑う、驚くべき事実だったが、県の関係者にとっては例年の習わしのようなもので、特に隠してきたつもりはなかったようだ。

墓苑には遺骨が納められている。私は想像してみた‥‥関係者たちは「今年もこの後、大きな催しをいたします、ご承知ください」と挨拶をかけているような意識だったのではないか。催しの後、無事終えたという報告も重ねてきたのかもしれない。

数千人ではなく二桁の人数で短時間の催し、という条件なら「式典広場よりここで」との発想は不自然でなかったのかも‥‥

戦没者墓苑での開催には猛反対の声はすぐに上がった。私も声を上げた一人だ。そこは平和祈念公園の「臍」からほど遠い場所。

墓苑の前身にあたる識名の戦没者中央納骨所は、その成立の経緯に日本国の神道との関わりも。また、墓苑を含む「霊域ゾーン」の中にはグスクを傷つけて造られた慰霊碑もあり、「英霊」を称える碑文も。そのゾーンのほぼ中央にこの墓苑は、ある。

さて、会場に関する私の提案に戻る「会場は平和の火周辺、公園の設計の臍=テンブスで」だ。

平和の火の足元から湧き出す波は水底に描かれた沖縄島から発し、円形の池の縁からは敷き詰められたタイルの漣(さざなみ)が引き継ぐ。それは犠牲者の名を刻んだ礎の波を経て全世界へ。反戦・非戦の意思を発信するテンブスこそ「平和の火」「平和の広場」。ぜひここで!  

海からの風を背に立てば前方は平和の礎。右から左へ、沖縄県犠牲者、他都道府県、米国、英国、朝鮮・韓国、台湾の犠牲者の名。24万超の名を刻んだ碑を経て広がっていく。

心配は雨除け‥二百人の椅子‥まだ時間はある。今年ならではの行事を世界中が注目している。

2020年、異例の6月。

   (以上12字×82行)→→→先週県内の新聞社に送ったが、採用されず、、、、残念。

 

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沖縄平和記念公園のテンブスはどこだ

 

 


提 案  2020/06/15

 

平和記念公園 ゾーンを示した地図

 

 予期せぬ新型肺炎の影響下、6月23日の催しは当初「国立戦没者墓苑で参加者16人」という異例づくめ。この場所?なぜ?という大きな疑問。

 しばらくして、「式典広場で二百人ほど」と変更【従来は五千人】。

 このとき私の心に光が射した。小人数ならぜひ「平和の広場での開催を」という提案だ。【最新の情報では報道関係者も含め二百人以下】

 平和祈念公園のテンブス(臍)を皆さんはお忘れではないだろう。扇形に広がる平和の礎の中心は“平和の火”。念のためウエブででも公園の地図をご覧ください。

(慣れた方はストリートビュー">もお試しを、平和の火の様子まではっきりご覧になれますよ)

https://www.google.co.jp/maps/@26.0952626,127.7255717,3a,75y,135.9h,84.93t/data=!3m6!1e1!3m4!1s2a8p4KCd43u0TZ7B_-3A5Q!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

 梅雨が明け夏至目前、太陽は真東より北寄り、久高島の方角から昇り摩文仁を照らす。扇形に広がる平和の礎の中心が“平和の火”。曙の光は中央通路を抜け“平和の丘”へ差し込む設計。

 “平和の火”の真下から湧く水は、水底に描かれた沖縄島を出発。池の縁を流れ落ち“平和の広場”に敷き詰められたタイルの漣(さざなみ)に変わり、戦没者名を刻んだ礎を経て全世界へ平和への願いを乗せて広がる。反戦・非戦の意志を絶えず発信する平和のテンブスこそ“平和の火”“平和の広場”だ。今年の催しはぜひここで!

 

 公園は四つの部分からなっている。

 【平和式典ゾーン】は“平和の火”も“平和の礎”も“平和の丘”もそして従来の会場“式典広場”をも含んだ広がりだ。

 【霊域ゾーン】は摩文仁丘の北東端“みちのくの塔”(青森県)から南西端“黎明之塔”。ほぼ中央に国立沖縄戦没者墓苑(79年那覇市識名の中央納骨所の遺骨を移動)。

★★★★★“戦没者墓苑で”という当初の報道をきっかけに、実はこれまでも慰霊の日の午前に県主催の小さな催しがその場所で行われていたことが知られることとなった★★★★★

 【平和ゾーン】には平和祈念資料館、平和祈念堂、沖縄工業健児之塔や韓国人慰霊塔などがある。

 【園路・広場ゾーン】は公園全体の北から東側の広がり。

 

 “平和の広場”=テンブスを会場にしよう!海風を背に立つと前に広がる平和の礎。右から沖縄県の犠牲者、他都道府県、米国、英国、そして朝鮮・韓国、台湾の犠牲者の名。25万の碑銘を経て平和の波が広がる。沖縄発の報道は世界へ広がっていく。

 雨除けと椅子を準備し、今年ならではの異例の催しは“平和の広場”で!

 私の胸は期待に高鳴る。

 

[2020年6月15日 夜]

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私の論文(最初で最後だろうな)

1983年1月に完成させた(つもり)の、私の唯一の(今のところ)論文でございます。

当時はコピーもせず、当然スキャンなどできもしません。

初めのほうと終わりほう、数ページを抜粋して並べました。

【なんだい、ピンボケだぞ! ピンボケ! たまたま庵も相当年だな、、、読めね~~~~ぞ~~~】

という声が聞こえてきます。

(怖いもの見たさで読んでみたい方は、どうぞ、画像を”右クリック”んどして、画像単独で開いてご覧ください)

※東京に行く用事があり、祖父母の墓参りにと歩いていく途中でした。

ふとひらめいたのは、、、もう当時の下書きもメモも何もない、いやしかし、そのものずばり=現物を手に取って見られるかもしれない、ってこと。

保管場所を教えてもらい(建物を改修していたりしていて、教えられた場所まで行くのが大変だった。)

論文だらけの部屋の鍵を貸してもらい、すぐに見つけることができ、コピーとって土産としたものです。

⓵扉とP130

 

 

目次(P1-P2)

 

目次(P3) と 「はじめに」(P1)

 

はじめに(P2-3)

 

はじめに(P4-5)

 

 

目次(P1-P2)

 

 

P94-95

 

P96-97

 

P98-99

 

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証拠を確認。10月10日の綱引きは”体育の日”だから、ではなかった!

20181005


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緊急上映【宮古島からのSOS】藤本幸久 影山あさ子 監督 最新作

  ~今こそ、島・平和・未来を考える~

関東ではまだ二か所(調布、新横浜)でしか上映会が開かれていない新作です。

http://america-banzai.blogspot.com/2018/09/sos60.html

時:2018年 9月 30日(日) 正午から(開場は11時半)

所:くまから洞
(東京都中野区 西武新宿線野方駅徒歩5分⇒詳しくは下をご覧ください)

上映協力(カンパ) 1000円

座席 20名ほど【早めにお申し込みを↓座席数が少ないので!!】


問合せ、申し込み先:dzunn-dzunn.7@docomo.ne.jp
 

上映(約1時間)


上映後は、宮古のうたを楽しみましょう。

※お誘いあわせの上、ご来場ください。ともに語り合いましょう。

【くまから洞への道】
 野方駅北口、線路を左手に道なりに西へ、やがて線路を離れ「はなさき記念館」を過ぎて右側の木造家屋。
 ウエブで調べるには”中野区野方 6-39-10”を入力してください、その建物の向かいが”くまから洞”の入口です。

Dsc_88991

http://america-banzai.blogspot.com/2018/09/sos60.html

B5omote5thout
http://america-banzai.blogspot.com/2018/09/sos60.html


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5・15とは何だった…ドキュメント 72年5・15前→後→そして96年 くまから洞(中野区野方)にて

  ~5・15を振り返る…私たちの明日を紡ぎだすために~

カンパ期待 1000円(交流会での飲食カンパはまた別に、よろしく)  座席 20名ほど

時:2018年 5月 13日(日) 午後5時半から(開場は5時)

所:くまから洞
(東京都中野区 西武新宿線野方駅徒歩5分⇒詳しくは下をご覧ください)

問合せ、申し込み先:dzunn-dzunn.7@docomo.ne.jp
 

【1】 ビデオ(約1時間)


1972 5 15 をはさんで。
さらに1995年の暴行事件を経て。
教育関係の4人が集まり、515を語る。

【2】 交流会・懇談

※交流会への飲食物の持ち込み歓迎。

※そうぞお誘いあわせの上、ご来場ください。ともに語り合いましょう。

【くまから洞への道】
 野方駅北口、線路を左手に道なりに西へ、やがて線路を離れ「はなさき記念館」を過ぎて右側の木造家屋。
 ウエブで調べるには”中野区野方 6-39-10”を入力してください、その建物の向かいが”くまから洞”の入口です。

Dsc_88991

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【目次】 個人サイト [ 表札がない風にでも尋ねよう ]

2002年だったか。
自分のウエブサイトを拵えて発信を始めた。

2016年の暮れごろ、
niftyの都合で、利用者のURLの全面的な”引っ越し”があり、
URLの初めの部分が、homepage3.nifty.com/i-sa-wo から http://isawo.o.oo7.jp/ に変更された。
そのために、リンクへのジャンプがうまくいかないことが生じた。

そこで、以下に、ウエブサイトの目次を新設することにした。
さあ、あ立合い!
クリックしたらうまく跳ぶか、、、
(ごく少数ですが、飛ばないところあります。ご容赦ください。)

#00 はじめ
    私の顔 新作頁の宣伝 心に掛かること 最近の日記 【『表札』が無い 風にでも尋ねましょ】(写真と文)

#001 写真
    このサイトの各所にある沢山の写真、目次を作ってまとめました。

an【たまたま庵】   blogを利用
    新しい住処に越したのは03年の夏。 写真、活動状況、予約状況など。

eizou 映像資料一覧表【DVD】  ビデオからDVDに保存 ジャンル別も

#002 「ぼくの好きなうた」
    「クイパラ通信」(クイチャーパラダイスの月報)に連載している文章。おかげさまで70回をこえました。

#003 様々な文章
    娘の沖縄修学旅行関連の文章 八重山への修学旅行に関連した文章 私立中学校に勤めたていたころ書いた文章 投書など 新聞投稿[2003-6]はこちらからも


1995年以前
1996~2001年

#07 

 四曲目は、知人の結婚パーティー(野外)での生演奏。家庭用8mmビデオから音をコピー。臨場感をお楽しみ下さい。
↑ サイト開始以来念願の【演奏】の頁です。じっくりお聞き下さい。↑

link 網の繋がり  「リンク集」です。

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【上映会】森口豁氏と共に沖縄のドキュメント作品を観る くまから洞(中野区野方)にて 

【沖縄のドキュメントを観る。今、東京で】
~森口豁氏をお招きして~


参加費 1,500円(資料代含む、飲物付)

座席 30名ほど

時:2017年 11月 10日(金) 午後3時より(開場は2時半)

所:くまから洞
(東京都中野区 西武新宿線野方駅徒歩5分⇒詳しくは下をご覧ください)

(参考)中瀬勝義さんのブログ記事

問合せ、申し込み先:dzunn@nifty.com 

内容

1 上映
『沖縄の十八歳』(66年)
18











琉球政府立コザ高等学校の3年生、内間安男が祖国復帰への請願活動を進めようと、級友たちと戦没者慰霊行進に参加。彼の思いを掘り下げていく。

『一幕一場 沖縄人類館』(78年)
Photo_2
”沖縄の十八歳”から12年、内間安男はコザの劇団「創造」のメンバーとして『人類館』に出演。沖縄の近現代史を風刺する舞台は、72年の”施政権返還””日本復帰”を鋭く問う。

2 森口豁さんのお話し
73

3 上映
Photo_4
 『空白の戦史・沖縄住民虐殺35年』(80年)
日米が血で血を洗う地上戦を繰り広げた沖縄戦。日本兵だった森杉多(すぎお)は、山原での住民虐殺の現場を訪れる。スパイ容疑で殺された一人は、断髪屋の仲村渠仁王。森は、風雨のなか森林の奥深くへ入っていく。森の鎮魂の旅は、沖縄の人びとにとってどんな意味を持つのか、ドキュメンタリストは厳しく問うていく。

4 森口豁さんのお話し
2016

5 懇談

※ここまでで6時半前後。
 その後、ご希望の方は懇親会にご参加ください。

※懇親会の参加費は別途(2,000円)。持ち込み歓迎。

※お誘いあわせの上、ご来場ください。ともに語り合いましょう。
・30名ほどの広さです。参加ご希望の方は早めにご連絡ください。

【くまから洞への道】
 野方駅北口、線路を左手に道なりに西へ、やがて線路を離れ「はなさき記念館」を過ぎて右側の木造家屋。
 ウエブで調べるには”中野区野方 6-39-10”を入力してください、その建物の向かいが”くまから洞”の入口です。

Dsc_88991

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十十空襲を忘れない  

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ポッドキャストが聴けます。【時の贈りもの 十十空襲を忘れない】 知念良吉 磯崎主佳

bg
171007知念良吉/シンガーソングライター、磯崎主佳/画家
2017年9月30日 更新
ダウンロード
タイフーンfm

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演奏(一人多重録音)

試しにここにアップロードしてみる。
かつてのniftyの個人ウエブサイトで視聴できるようにしていた演奏であります。
引っ越しを余儀なくされた時から、いろいろ思い通りに行かないことがあり、試聴ができなくなっていました。
さあ、これで聴けるかな。

「aariigataayaarigataaya.wma」をダウンロード

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子どもの本で平和を紡ぐ(言葉はどう抑え込まれていくか)

沖縄タイムス
論壇
2017/05/16

20170516


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5・15 今朝読んだ文章

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【39年前の沖縄を観る。今、東京で。】
記録映画『沖縄列伝第1 ”島小”』(照間プロダクション 監督:吉田豊 1978年)
約1時間の上映
池城安俊さん(映画制作メンバーの一人)との懇談も。(上原こずえさんは来場調整中)

※”島小”は”その土地の産”というほどの意味。「しまーぐゎー」と私には聞こえる。

※お誘いあわせの上、ご来場ください。ともに語り合いましょう。
・20名ほどの広さです。参加ご希望の方は早めにご連絡ください。

時:2017年4月4日 午後6時~9時過ぎを予定(上映開始は19時を予定)

所:くまから洞(主は竹内光浩さん。彼の作った案内図をこのメールに添付しました。ご覧ください。野方駅北口、線路を左手に道なりに西へ、やがて線路を離れ「はなさき記念館」を過ぎて右側の木造家屋。ウエブで調べるには”中野区
野方 6-39-10”を入力してください、その家屋の向かいが”くまから洞”の入口です)

カンパ(参加費):1000円(~上限なし)  飲み物一杯付きです。
 (予定:ビール、スコッチ、ワイン、泡盛、焼酎、コーヒー、ジュース)

作品紹介
沖縄・金武湾の石油備蓄基地(CTS)への反対闘争を軸に、
「金武湾を守る会」の活動、
豚の在来種(島小)保存に取り組む人の思い、
琉歌を歌い語る年配の方々、
喜納昌吉(30歳)とチャンプルーズの録音現場、
そして730。
(730についての参考動画、こんなのを見つけました:https://www.youtube.com/watch?v=xklmxmgaFWA)。
作品のエンディングは何を語るのか……。

ナレーションは松田優作(29歳)。

【参考】
※上原こずえ「流浪する青年たちの模索と『沖縄列伝第一ー島小』ー池城安俊さんに聞く」(『越境広場 3号』[2017/02/28発行] p102-109)

※『越境広場』については、次のウエブページなど
 http://mangroove.ti-da.net/e9395833.html

※上原こずえ諸論文
 http://ci.nii.ac.jp/author?q=%E4%B8%8A%E5%8E%9F+%E3%81%93%E3%81%9A%E3%81%88

会場への道

Dsc_88991

おそらく、ポスターやビデオのパッケージのデザイン
Shimagwa

IさんとTさん
Photo

730
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上原こずえ、『越境広場3号』(上原さんは販売用に何部か持ってきてくださる予定)
dzunn@nifty.comPhoto_3


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被爆ピアノ 喜屋武岬を訪れる 2017/01/14昼

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12年前、私の初の新聞投稿

次の文章もご覧ください。(下をクリックしてください)

西表の伝統と現在【その3】
何 を ば 乞 う や
 ぼくの好きなうた(連載第60回)


20030112okinawatimes

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投稿が掲載されました【被爆ピアノ】沖縄タイムス「茶飲み話」

Tyanomibanashi20150203


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(この記事は引っ越しました)「若き日の友人・知人の方へ」

この場所に、限定的に公開していた文章を載せていましたが、新たな「記事」をアップし公開するために「引っ越し」しました。
ご覧になりたい方は管理人に御連絡をお願いします。

|

「論壇」(沖縄タイムス)に掲載 2014/3/27

140325rondan

 教科書無償に関して、2つの法律の矛盾点がさらけ出された。その後、政府は綻びを綴って整えた形となった。
 それはそれとして、疑問は残っている。
 何の目的で「無償化法」を作った時に採択の方法までも繰り入れたのか、ということだ。
 また、この機会に教科書検定という制度にも強い批判の渦を起こすべきなのだと思う。国家が教育に口を挟んでいく、これは国家が持っている本質的な良からぬ性格の一つだと私は考えているのだが、それも文章化していきたいものだ。

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銀座で個展 磯崎主佳(いそざき ちか)

磯崎主佳展
8月13日(火)~19日(月)
11時~18時(最終日15時)
展示期間中は全日在廊しています。

※絵本朗読とギャラリートーク
13日(火)16時から
14日(水)14時から

場所/月光荘画材店・こんぱる中室
銀座8-7-5金春4階
℡0335725605
新橋駅・銀座駅から徒歩約10分

作者の一言
 沖縄で暮らしはじめて11年がたちました。
 今回の個展では、これまで私が沖縄で出版してきた沖縄戦の絵本と原画を紹介し、絵本制作と平行しながら描いてきた「祈り」「生命」をテーマにした絵を見ていただきたいと思っています。
 私(磯崎主佳)は全日程、会場にいます。ぜひ遊びにいらして下さい。
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急遽【アルテ崎山に会場変更】 鈴木厚志(Pf/Vo)+3

急告 【アルテ崎山に会場変更】

http://arute.ti-da.net/
那覇市首里崎山町3-34
TEL:098-884-7522
(霜鳥美也子さん、シンディーさん)

2月11日(土)夜8時開演。

鈴木厚志+3
→鈴木厚志(Pf/Vo) 石井幸枝(Fl) 坪根剛介(Perc) 東江敏文(Bass)

【演奏家には投げ銭を!】
★飲食はお店でオーダーして下さい!

明夜、同メンバーは那覇の「小さなスナック椰子の実」でライブ、石井幸枝さんのHPに情報あり。
http://yukie-ishii.com/schedule.htm

★たまたま庵「久々の鈴木厚志ライブ」としてお知らせしていたものですが、
当方の止事無き都合で、場所の変更を致しました。
どうぞお許し下さい。

急なお願いを快く受けて下さった、アルテ崎山の
美也子さん、シンディーさん、本当に感謝感謝です!!!

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展示批評、琉球新報12/19掲載(磯崎主佳)

 東京の国立近代美術館で行われている、「沖縄プリズム」なる企画展示についての批評。
【たまたま庵】の磯崎主佳さんの執筆です。
 今のところ、琉球新報のネットサイトには載っていませんので、どうぞ写真を別のウインドウなどで開き、拡大してお読み下さい。
 (600万画素の画像もあるのですが、今ここには軽くしたのを載せてみます)

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大きなサイズで見る(ここをクリック)


08121923


大きなサイズで見る(ここをクリック)


 まずはお読み下さいね。(追加して書き加えるかも知れません)

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【しま便り】千歳烏山「らくだ」と成城学園にて

 東京で展示会します。磯崎主佳の最近の作品。原画、複製(額入り)絵はがき、など。
 また、会期中に、絵本作者の金城春子さんを招いた「一緒に遊ぼう」という会を催します。
 8/30(水)昼二時から成城学園(世田谷区成城六丁目、小田急線「成城学園前」駅下車数分)にて。
 8/31(木)は展示会最終日の宴会に、春子さんも参加。この日は「わらぶー」のライブも。
【↓クリックしてみて下さい】
3

Tizunittei2

 この期間、会場になる「スペースらくだ」では二つのライブがあります。ライブ準備と本番の間は展示物を見るためだけの入場は出来ませんので、お気をつけ下さい。ライブ入場者となって展示作品を見ることは出来ます。
 【たまたま庵】の報告会をかねた開会の宴を初日(8/26に行います)。これについては詳細未定。

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【しまくとぅばで あそぼう】

Simakutubahurokudvd2 にーじぃてぃ んーでー
    あーきてぃ んーでー
 てぃーぐわ うっちぇー
    にじぃてぃ んでー
 まーたー あきやーに
    てぃぐわ うっちぇ
 うぬぅてぃや いいんかい

 てぃだ クワラクワラ てぃだ クワラクワラ
 てぃだ クワラクワラ クワラクワラー

これ、沖縄口訳の手遊び歌ですけど、お分かりですか?

Simakutubadehyousi2

私が校閲していた絵本【DVD付】発売!

「まりつき歌」、
自作の指遊び歌、
沖縄口に翻訳した歌。
早口言葉……
などを挿絵入りで紹介。

Ehonmarituki060521


Ehonhayakutikotoba

では、画像の「早口言葉」のページから、一つ。

 なまぬくるまやむるなまぐむぐるま
    (今の車や、むる生ゴム車)

さっそく先週、県内二紙で紹介されました。

琉球新報【方言楽しく学ぼう…金城さんが「しまくとぅば」の本出版】(06/05/16、午後)

沖縄タイムス【金城さんが指遊び絵本】(06/05/16、夕刊5面)

すでに、5月16日から県内の主要書店で販売。DVD(約10分)付きで1500円。

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絵を担当したのは、磯崎主佳さん。(沖縄司会屋さん、ブログで紹介してくださって有難う。素敵な写真です)

 実は、この本、仕上がったのが13日の土曜日。なんよう文庫の川満さんが即座につくば市の「ゆいまーる一周年記念」の会場に送ってくれて、14日(日)の夕方には会場で販売しました(磯崎さんのサイン入り)。

 沖縄島内での販売に先だってつくばで売ってしまったわけです。あはは。そして翌15日には、旧職場のS学園(中学校)でも数名の知り合いに買ってもらいました(有難う〜〜)。だから二番目の販売が世田谷。

 さて、近々出版記念の宴を企画しなくては。楽しみ〜〜。

 そしてこの夏には、東京周辺のどこかで「原画展」「絵はがき展」、【たまたま庵】紹介展、を一週間くらいやりたいな〜〜〜と考えています。当然、宴会もやって、ね。

 お知恵のある方、連絡下さいな。

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(はじめに載せた歌は「結んで開いて」の沖縄語訳。後半は「お日様キラキラ…」です。皆さんもどうぞ手を動かしながら楽しく「あしば!」)

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【しまくとぅばで あそぼう(続き)】

 DVDは正味10分強。金城春子さんの自宅+お店の庭で撮影。

 「門」(じょう)、という食事の店さんです。
 ほとんどお一人でやっておられる。基本的には予約制。予算に応じてくださいます。
 食器は、金城有美子さんのつくったもの(作品を売ってもいます)。有美子さんは春子さんの娘さんです。

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内容が重複しますが、掲示板への書き込みから転載(一部修正)。
【磯崎主佳さんより】

 書き手の金城春子さんはとっても元気でパワフルな方!
 南風原の津嘉山で民話と食事の店『門』(じょう)というお店をやっています。

 故人の旦那様金城信吉さんは沖縄民芸運動の担い手でもあり、沖縄を代表する建築家でもありました。
今沖縄で活躍する50代60代の陶芸や染織の作家の多くは若い時に信吉さん荷お世話になった方がたくさんいます。

 信吉さん設計の自宅がお店になっていますから、お家もじっくり見てきてください。

 娘さんの金城有美子さんの器でお料理が楽しめます、こちらもお見逃しなく。

 春子さんは西原町で育ち南風原にお嫁に来ていますから、今回の絵本に出てくる方言は首里、西原、南風原あたりの表現になっています。

 絵はアイディアスケッチをたくさん描いて、春子さんや有美子さんたちと相談しながら仕上げていきました。
 春子さんが「かわいらしさ」を大切にしていたので、画材もほとんど色鉛筆でやさしい雰囲気にしあがっています。

 
 みなさんぜひ手にとってみてくださいね。よろしく〜

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「しまくとぅばであそぼう」の記事あり。南風原の情報です。←クリック!

   ******   ******   ******

書店での購入が不便な方へ

 申し訳ありませんが、アマゾンなどでの販売は今後もないようです。どうぞ私にメールで連絡を。

 "日本国内"の場合、二冊以上なら、エクスパックかゆうパックでお送りします。夕方までに発送すれば翌日着きます(旭川でもおなじ時間で着きました!)。 一冊の場合は「冊子小包」でお送りします。
 郵便振替用紙を同封しますので、それでお支払い下さい。特殊な場合をのぞいて、送料はこちらで負担します。
 "国外"への郵送は場所によって状況がさまざまなので、まずは相談を。

 店舗などでの販売をお考えの方は、なんよう文庫沖縄学販にお問い合わせください。

 知人が調べたところでは、わしたショップには置いてあるところもあるそうです。電話でお問い合わせ下さい。
 どぅーたっち(東京・駒込)にはまだ連絡していません。ごめんなさい。

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【06/05/23追記】
 さきほど、出版後はじめて制作に関係した五人で食事会をしました。そのひとこま。

 民話と食事の店『門』(じょう)には、近所の小学校の子供達が帰り道に寄っていくのだそうだ。春子さんの話を聞いたり、一緒に遊んだりしたいから。休日には那覇から自転車に乗って遊びに来る子もいるとか。
 これは絵本を作る前からのこと。一人でやっている店だから、その間、仕事は後回しになるわけだけど、春子さんは楽しそうにそのことを話す。

 娘の有美子さんは、陶芸家。春子さんの店の食器が作品であるとともに、そこは展示、販売の場所でもある。展示用の棚が新しく作られていた。「自作よ〜、ペンキも塗ってさ〜」とこれまた楽しそう。

 さて、有美子さんが主佳さんに「今回の画材は?」と尋ねたのに対して「120色の色鉛筆、十数年前にスイスで買ったヤツを今回初めて使ってみた」と主佳さん。
 「学生時代、欧州旅行で自分のために買ったのはこれだけだったんだ」とも。

 主佳さんは「まゆ織り工房」で機を織ってもいるのだが、かつて有美子さんは父親に「染織か建築の内装の道に進みなさい」と言われていたのだそうだ。そのお父さんは彼女が高校生の時に急病で亡くなった。「お陰でこんな道に進めたのよ」と笑っていた。

 主佳さんは なんよう文庫 の昭広さんに「私の絵を使おうって思ったのはいつ?」と問う。
 昭広さん「去年の夏に絵はがきを見たときに」とのこと。
 「わりと最近のことだったんだ」と私も意外に思った。

 六月には、参加者がちょっと驚くような出版記念会をしてみよう、とか、夏には東京で原画の展示会をしよう、いや春子さんも招いて、しまくとぅばあしび会にしよう、とか、そうだ春子さんの唄と僕の三線であそぼう、とか、まあ、ホントにいろんな方向に話は広がった。

 絵本の話題だけではなく、ウシの糞尿から肥料を作りつつ川の汚染を減らすことだとか、人工的な護岸工事で海の砂の動きが変わった話し。それは宇井純のことやヤハラヅカサが砂に埋もれ折れていったことにも繋がって、いやはや何とも面白い。

 六月下旬に沖縄島で、八月下旬〜九月はじめには東京(なるべく多摩)での催しを予定している。皆さん応援をよろしく。


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那覇市内の某ショッピングセンターの書店で平積み!

 【06/05/19撮影、ピンぼけ御容赦、クリックしてみて下さい!】


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【玉城村字玉城のタマ】

 友人のTさんの工房とすぐ隣の玉城公民館の間の畑の垣にこんな掲示が掲げられた。
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 昨日(05/12/13)の朝刊によれば、不発弾は米国製5inch艦砲弾。避難範囲は半径230mで五世帯21人が避難する、とある。
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 五世帯のうちの一世帯四名がTさん宅である。二日前に東京から帰ったばかりの私は土産を持って処理終了を待った。交通規制が解除になってすぐ尋ねると、自宅向かいの工房でいつものように作業している。「もう帰ってきたの?早い!」というと、「道を挟んでこちら側は避難地区ではなかった」とのこと。なるほどさっきの掲示の地図をよくよく見ると自宅は避難地域、工房は赤い円周の外だ。円の中心は「ほらこの前、モンゴルパンの会をやったところ」とのことで早速行ってみた。
 海岸に遊びに行くときによく使う駐車スペースには陸上自衛隊の車が三台、2m×3m、深さ2m位の穴が掘られている。「地中に埋まっていた不発弾を処理したんだ」と思ったが違っていた。帰りがけの自衛官に尋ねるとこんな返事が返ってきた。
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huhatudanana3
…この穴は処理作業用に掘ったもので、発見場所ではない。海岸にあった砲弾を誰かが通報した。今日はこの穴で信管を飛ばす作業(それを安全化処理と呼ぶらしい)をした…海に洗われ錆びてはいても火薬を保護している真鍮などは強いもので、60年経った今でも火薬は効力を減じていない…慶良間の海岸などに多いのです…
 帰りにTさんに話しに行くとテント撤収の作業などが公民館で行われていた。
huhatudankoubou
 明日、いや今日、私がそしてあなたがそこの海岸で見つけるかも知れない、鉄の暴風の残骸。60年の歴史を見てきたタマのお話しでした。
【写真は05/12/14午前 撮影】
(三枚目の写真で左の緑の中にある木造の建物はごぞんじ「山ノ茶屋=楽水」です)

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【These pitiful victims of the war were as many as ten thousands.】

 昨日。欧州から訪れた高校生中心の団体に同行し、一緒に韓国人慰霊塔公園に行った。日本の戦跡を廻る旅の終盤であるという。KoreanM
 朝鮮語、日本語、英語の説明文が石に刻んである。左端の英語の文章を通訳が読み上げ、要所要所を独訳していった。すると、第一段落の最後の部分に対して質問。「『一万人』はどこで没したのか」。
 日本語の説明に慣れていた私(たち)は明解に「沖縄で」と答えたのだが。
KoreanM-english (第一段落のみ 「/」は改行位置を示す)
 When the war in the Pacific region broke out in 1941,the young people / of Korea were pressed into service by Japan and stationed at various fronts / on the Continent and in the South Seas. Thus conscripted and drafted, they / suffered innuumerable hardships, and some of them were killed in battle and / even slaughtered here in Okinawa. These pitiful victims of the war were as / many as ten thousands.

 日本語はこうだ。(「/」は改行を示す) 
   1941年 太平洋戦争が勃発するや多くの韓国青年達は日本の強制的徴募/により大陸や南洋の各戦線に配属された。この沖縄の地にも徴兵、徴用として/動員された1萬余名があらゆる艱難を強いられたあげく、あるいは戦死、ある/いは虐殺されるなど惜しくも犠牲になった。
   祖国に帰り得ざるこれら冤魂は、波高きこの地の虚空にさまよいながら/雨になって降り風となって吹くであろう。この孤独な霊魂を慰めるべく、われ/われは全韓民族の名においてこの塔を建て謹んで英霊の冥福を祈る。
   願わくは安らかに眠られよ。
         1975年 8月
        韓 国 人 慰 霊 塔 建 立 委 員 会
KoreanM-jp1KoreanM-jp2
 今日、ソウルからの留学生(この夏【たまたま庵】滞在したCさん、大阪在)に事情を伝え、朝鮮語の説明文の画像をメールで送った。じっくり読んでもらうことにする。

【写真撮影は05/09/27(夕刻)と05/10/12(午後)】

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【西方、約2000m】

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この広いガマの一画には、天井の崩落がある

闇に差す光を浴びてAさんは写真を撮った。

Asan-satuei-gama

gama-asan2
ガマの形成は
   数十万年。

人間が利用して
   数万年。

沖縄戦から
   60年。


 闇と光と…


【05/08/31撮影】

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【夏の真昼の陽射し】

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05年 8月22日、荒崎海岸で撮影。
若き案内者、大阪から来た高校生三人に。
  遠景は摩文仁、小度、米須。
【巌かげに一すぢの黒髪 乙女ごの自決の地なり 波もとどろに】
【島はてに華と散りにしいとし子よ 夢安らけく眠れとぞ祈る】

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【外間さんのふるさと】

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5・15に知り合った外間さんは一日中舞台の裏方を手伝っていた。合間に写真も撮っていた。終演後の懇談で「来月写真集を出すんです、今最終段階だけど今日の写真も載せたいのです、良いのが撮れてたら」。
6・23前後には、琉球新報、沖縄タイムスに記事が出て、QABでも紹介された。6/25に【たまたま庵】来訪。数冊を預かる。別れた後に熟読、ことばが胸に響き影像が目に焼き付く。

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「ほら、ぼくはこんな風に演奏もしてるんですよ」。機会あるごとにこの本を知人に見せている。


生まれて数か月で沖縄戦を生き抜いた外間さんのふるさとの60年間がこの本の中にある。
外間さんがふるさとを出て約45年。


かたや私…もの心ついてずっとこのクニに踏み込めなかった、その期間が約20年。
私がこの島に通い初めてから16年。

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道で出会ったよ

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七月七日の日中、一日橋付近で撮影。
60年の記憶を辿る。


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【新設 遊歩道 崩落】

uzahabira-houraku

二年前(03年)に工事、完成した遊歩道。
【たまたま庵】から北に数百m、ベランダから見えている。
先月の大雨で崩れ落ちたらしい。
高台にある公園側から近寄ってみると、地崩れを起こして階段も手すりも崩落していた。
直接の原因は激しい雷雨だったのだろうが、その遠因は人工的に森を切り開いたことにあるはず。
さて、これをどうするか、責任はどこにあるか。

古くからの小径が木々に埋もれていたのを整備したと言うことだったが。
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http://www.vill.tamagusuku.okinawa.jp/denku/show/fusa_yaka_tou.html
の「石畳」整備がこれです。
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【05/07/07 夕刻に撮影】

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般若心経

sougyou

朝、庵から歩いてアブチラガマ。
修行僧のKさんは初めての沖縄島。神奈川からいらした方。
それまで二日かけて南部を331沿いに左回りに巡ったと聞く。
歩く速さでなくては見えないものがある、確かに。

ガマを案内、外へ出た後に彼の般若心経。
そのあと写真を撮らせていただいた。

続けて糸数城跡、玉城城跡、仲村渠樋川、浜川御嶽、
……私もずっと徒歩で、案内。

【05/05/20 午前 撮影】

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【太洋を望む所】

sin-yaharadukasa
ここには十数年前から幾度となく足を運んでいる。
こんなに干いているのは初めてのことだ。

思った通りの半円弧の姿…この石の据えらた場所は「思った通り」でもあり「思った通りでない」のでもある。

「ヤハラヅカサ」とは何か、ということについてあらためて考えていこう。

     【05/03/13 午後 撮影】

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【絵はがき作者自画像】

tika-stamp絵はがき作者の自画像です。クリックしてみて下さい。
絵はがきの見本12枚が見られます。
【メール申込→商品郵送→郵便振替で支払】という販売も始めます。

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水のささやき・光のうた

050105tenzi
【那覇市立病院】の展示会場です。
←クリックすると拡大。
詳しい情報はココをクリック!


   (05/01/05 撮影・いさを)

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元日の虹

ganzitinonizi
元日の午後、Sさんが私のスナップを撮りに来ました。
茨城沖縄県人会の会報に原稿が載ることになったので。
ベランダで風に吹かれていて、虹に気づきました。
慌てて撮った一枚です。
"二時"でなく夕暮れ時でした(影でわかりますねぇ)。

         (05/01/01 撮影・いさを)

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【水のささやき・光のうた】

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昨年10月から11月に【喫茶室アルテ】で開催した絵はがき原画展、今回は原画に私が言葉を付けて再登場です。
【那覇市立病院】、夕方に掲示作業をしますので1/5は四時半からの開催です。
【チャンドラマ】では絵はがきの展示、販売も致しますのでよろしくお願いします。
(病院では絵はがき販売ありませんのでご注意を。現在、取り扱っている場所は以下の八か所です)
【喫茶室アルテ】(首里・崎山)、【風の里】(佐敷・新里)、【ポランのひろば】(知念・久手堅)、【浜辺の茶屋】【山の茶屋-楽水】(玉城・サチバル)、【花野果村】(玉城・富里)、【郷土料理-新】(具志頭・与座)【たまたま庵】(玉城・富里)
*三枚セットで\420(消費税込の場合、本来は\400です)。是非とも現物を御覧下さいな。

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光の波

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先週から黍刈りが始まっている。


陰暦霜月の景色。



北側から【たまたま庵】を望む。  (04/12/29 夕刻撮影)

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陰暦霜月の雨

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「ボーリング調査に反対、そもそも移設に反対、いやいや新基地建設に反対、基地の機能拡大に反対、そればかりでなく基地の存在に反対、同時に沖縄県の加重な負担は理不尽で許せぬ、もとより戦争に反対、沖縄が出撃基地になっているのは許せぬ、日米安全保障条約の存続を許すな」
「珊瑚を傷つけてはならない、ジュゴンを保護すべき、自然の調和を忘れてはならない、海の恵への感謝を忘れてはならない、人間よ奢るなかれ」
"ラディカル"は少しも"過激"ではない。
静かな穏やかな願いこそが意思表明と行動の基盤になっている。

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反戦反基地デモ(初冬の渋谷)

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                 (05/12/11 午後撮影)
渋谷でデモ、自分の経験のうちで一番賑やかなデモだった。
楽器、声、リズムを体感しながらの行進。
丁度持っていた三板をうち続けて渋谷を一巡り。
その間中、安保をどうしてくれようかと考え続けていた。

解散後、懐かしい路を辿って駒場まで一人歩いた。

民謡の会の大忘年会にお呼びがかかって上京中……の一齣です。

    

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【江吏子&エド】

eriko-ed.jpg

今回の一月強の在沖中に、二度のライブを計画中。
一度は首里で、もう一度は【たまたま庵】で。
【たまたま庵】のほうは期日など未定です。

私もちょいと演奏手伝いします。お楽しみに。

*「真南風」の江吏子さんです。
過去の演奏については、私のサイトで「サイト内検索」してみてくださいね、是非。
http://homepage3.nifty.com/i-sa-wo/

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好評につき期間延長! 絵はがき・原画展】

応援有難う御座います。

ご好評に付き
今月末日【11/30】まで期間を延長しました。

gengaten.jpg

絵はがき発売。その原画展をしています。

詳しくは上の画像をクリック!
  掲示板も御覧下さい。

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ここがお気に入りの浜

hyakuna-sannin.jpg

ついに、【お気に入り】の浜の昼間の情景をお知らせします。

輪になった岩々が水中に見えていますか?
久高が見えますか?

ここに大昔の人達は辿り着き、住み始めた。
今も軽やかに風が渡っている。

【04/09/03 昼時に撮影】

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案内されたガマで

[案内仕事に励んではいるのですが、時々は案内される側にもなるのです]

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【たまたま庵】から直線6km。太平洋に近接した丘の上の方にあるガマ。
南北に貫通する洞窟の、北の入口を教えていただいた。

風は吹き抜けず、何も聞こえない。

ガマを出たとき我等二人を迎えてくれたのは、二頭の大胡麻斑(オオゴマダラ)!
ここでの死者は決して二人では無かったことを忘れるな、
--と、他ならぬこの二頭の蝶が念をおしているのだろうか。

今日も我が庵の門口に立てば、はるか6km南西にこの丘は見えている。

【04/08/21 夕刻 U氏撮影】

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梅干しを作る

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【たまたま庵】の廊下で
ヨウコさんが託していった梅干し作りの続き

これから
「三日三晩の土用干し」

写真右のKさんは手慣れたもの
左のNさんは梅酢を一升瓶に注いでいます
出来上がりが楽しみ

暑い夏の昼下がり(04/07/13)

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たたずむひと

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 かつて沖縄陸軍病院のあった黄金森。陸軍病院「二十四号壕」の入り口。
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 情勢は次第に悪化、空襲は日々激しくなり、夜も三角兵舎には泊まれなくなったので生徒を三つの壕に分けて収容した。(中略)残りの師範生一高女生全員は二十四号壕にはいった。二十四号壕は病院の丘陵の東側中央に位置し、そばから丘を横切る細道が反対側の本部に通じていた。この壕も未完成であったが、かなり深かった。壕の中はしずくがしたたり、泥田のようにぬかり、足を踏み入れることができなかった。
 入り口に積んであった支柱を壕内に運んで敷き並べて、足を泥につっこんだまま。その上に目白おしに入り口から奥まで並んだ。【「ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」(仲宗根政善)より】
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 南風原町の立てた看板を読む青年の意識は59年の時を超え過去と現在を行き戻りする。
 59年前の「戦争」の発端、経過、集結を想いながら、目の前に歴史の断片を見る。
 59年間の地球上の「戦争」を想い、現在の戦場を想い、未来を想う。
 

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荒崎、阿檀、大胡麻斑。

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大胡麻斑(おおごまだら)です。
久高、玉城では時々見ましたが、今回は荒崎海岸で。
幾つかの沖縄陸軍病院関係の壕を見た後のことです。思いはぐっと重い。

そうそう、皆さん、
「ひめゆり平和祈念資料館」が先月新装したのご存知ですか?
まだいらしていない方、是非足をお運びください。

【04/05/27 夕方に撮影】

 

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サンニンの花

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咲きました、咲きました。
月桃の花。

さて、前回に引き続き問題です。
ここはどこでしょう。

ヒント:向こうの茂みの下は、、、
村長は、出口から入らないで、と掲示してます。

*写真をクリックすると答がどこかに出てしまうかも。

【2004/04/25 昼下がりに撮影】

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赤く咲いてます

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梯梧です。
ちょっと上方から撮ったのって、珍しいでしょう。
愛車でガイド中に停車して、窓越しに撮影。
曇り空でしたが、花の色は御覧の通り。

さて、撮影場所はどこでしょう?
ヒント:まだ工事が続いていて、拝むには不便です。
(隣の区の名所に続く小径はもう通れるのに、、)

画面下部中央に文字が見えますね、この字は、「仲」?

【2004/04/24 昼時に撮影】

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