【 提 案 】慰霊の日の催し、ぜひ平和の火の周囲で! (さらに‼ 例年少人数で慰霊の日の午前に行われてきたという”拝礼式”、ほとんど知られていなかった。どうしてこれまで問題にならなかったのだろう 大きな謎がここにある。)
5月末、玉城デニー県知事にメールを送った。
6月23日の催しの会場はぜひ平和の火=平和祈念公園の要にあたる場所へ変更すべきだと提案。短時間少人数という条件での最善の場所と考えたのだ。
当時の報道では、新型肺炎の影響下「摩文仁の戦没者墓苑で、16人」とのこと。普段目にすることの少ない施設、正式名称【国立沖縄戦没者墓苑】が登場。
この報道に触れ、だれしも目と耳を疑ったと思う。
やがて、その場所で例年6月23日の午前中、県による「拝礼式」が少人数で行われてきたことが新聞に載った。これまた自分の目を疑う、驚くべき事実だったが、県の関係者にとっては例年の習わしのようなもので、特に隠してきたつもりはなかったようだ。
墓苑には遺骨が納められている。私は想像してみた‥‥関係者たちは「今年もこの後、大きな催しをいたします、ご承知ください」と挨拶をかけているような意識だったのではないか。催しの後、無事終えたという報告も重ねてきたのかもしれない。
数千人ではなく二桁の人数で短時間の催し、という条件なら「式典広場よりここで」との発想は不自然でなかったのかも‥‥
戦没者墓苑での開催には猛反対の声はすぐに上がった。私も声を上げた一人だ。そこは平和祈念公園の「臍」からほど遠い場所。
墓苑の前身にあたる識名の戦没者中央納骨所は、その成立の経緯に日本国の神道との関わりも。また、墓苑を含む「霊域ゾーン」の中にはグスクを傷つけて造られた慰霊碑もあり、「英霊」を称える碑文も。そのゾーンのほぼ中央にこの墓苑は、ある。
さて、会場に関する私の提案に戻る「会場は平和の火周辺、公園の設計の臍=テンブスで」だ。
平和の火の足元から湧き出す波は水底に描かれた沖縄島から発し、円形の池の縁からは敷き詰められたタイルの漣(さざなみ)が引き継ぐ。それは犠牲者の名を刻んだ礎の波を経て全世界へ。反戦・非戦の意思を発信するテンブスこそ「平和の火」「平和の広場」。ぜひここで!
海からの風を背に立てば前方は平和の礎。右から左へ、沖縄県犠牲者、他都道府県、米国、英国、朝鮮・韓国、台湾の犠牲者の名。24万超の名を刻んだ碑を経て広がっていく。
心配は雨除け‥二百人の椅子‥まだ時間はある。今年ならではの行事を世界中が注目している。
2020年、異例の6月。
(以上12字×82行)→→→先週県内の新聞社に送ったが、採用されず、、、、残念。
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